銀座の母の占い情報

銀座の母と呼ばれている有名な占い師・横田淑惠(よこた よしえ)さんの情報

横田淑惠とは?

横田淑惠さんは、占いの激戦区である銀座で28年以上も占いを続け、
「銀座の母」と慕われている人気占い師。
占い三大母(新宿の母、大泉の母)の一人。

厳しい言葉で鑑定をするが良く当たる、的中する、と評判を呼び、元日以外は
年中無休で占う彼女の元には、経済界や芸能界まで様々な人が訪れる。

東京ディズニーランドの創始者、無名だった頃のロンドンブーツ1号2号の
成功を占ったこともある。

今では独特のキャラクターと驚異の的中率が話題になり、年間1万人以上を
鑑定している。

占いを始める前は、夫が経営していた建築会社が倒産し、借金地獄の末に離婚。
さらに再婚した夫が保証人になり、二度目の借金地獄。
死を決意した日もあるが、家族のために猛勉強し、最終的に辿り着いた占いの
道へ進むことになった。

以前は、銀座の街頭で鑑定を行っていたが、2004/06からは、銀座8丁目に
「銀座の母オフィス」をオープン。
総合鑑定料金4,200円で四柱推命、手相、人相、九星占い、十二支占い、
ホクロ占いを行っている(名付けと姓名判断は別料金)。

現在では、テレビ番組出演、雑誌に記事が載るなどで有名になったため、
毎朝8時からオフィス前で配られている整理券が無いと鑑定は行って
もらえないほどの大人気。
当日鑑定者のみ電話受付を行い、メールでのお問い合わせは休止中。
横田淑惠さんについて | 17:55 | - | -

横田淑惠さんの半生

半生
横田淑惠さんは、1940年に茨城県新治郡玉里村で9人兄弟の五女として
生まれた。

21歳で建築会社経営の男性と結婚。
2人の子供を産み、普通の主婦として暮らしていた。

しかし、夫の建築会社が多額の借金を抱えて倒産。
家にまで借金取りが訪ねてくるようになった。
その後の生活は一変し、夫の居場所も分からなくなった。

2人の子供のために離婚し、家を出てからは会社勤めと内職をしていた。

35歳で再婚。
優しい夫だったが、友人が破産しその保証人になっていたため、多額の
負債が舞い込んできた。

生活費を稼ぐために辿り着いた場所は、夜の水商売。
こうなってしまった自分自身の運命を呪っていたが、ある日偶然、街で
占い師を見かけ、手相を見てもらった。

その占い師には「前もって来るお客さんの名前も分かるはず、霊感が
強い。私と同じ手相をしている。占い師になりなさい。きっとすごい
占い師になりますよ。」と言われた。

横田淑惠さんは実際に過去、夫が出かける朝に嫌な予感がするので、
「交通事故に気をつけて」と言って見送ったことがある。
その後、実際に夫が交通事故に遭ってしまい病院に運ばれた。
さらに、知人が火事で亡くなった時も数日前に夢で知らされていた。

ホステスをずっと続ける気も無かったため、占い師に言われた言葉を信じ、
仕事と子育てをしながら毎日占いの勉強を始めた。
そして、手相、四柱推命、姓名判断、ほくろ占いなどの知識を吸収している
うちに占いの魅力に引き込まれた。


占い師
37歳の時に、千葉県の市川駅前で占い師を始めた。

しかし、お客さんはほとんど来ず、警察の人に「勝手に営業されては困る」
と注意され、派出所まで連れて行かれた。

その時、警官から「占いは本当に当たるのか」と聞かれたため、その場で
警官たちの手相を見て、占いを始めた。
出会った人のこと、結婚をする時期などの運命を鑑定し、それが的中して
いたため評判を呼び、路上占いの許可も下りた。

その後、お客さんも少しずつ増え始めた。
横田淑惠さんには、悩みを抱えている相談者に正直に答えることが一番
大切というポリシーがあり、本当のことを伝えた相談者から感謝される
ことも多くなり、その気持ちはより強くなった。


銀座の母
39歳の時、占いの激戦区・銀座に進出。

ある日、「遊園地を作りたい」という男性が相談に訪れた。
最初は冗談を言っているのかと思ったが、手相を見たら並の手相では
なかった。
ものすごい幸運の手相をしていたため「何をやっても成功する」と答えたら、
男性は満面の笑みを浮かべ、最後に一枚の名刺を置いていった。
後にその男性は、東京ディズニーランドの創始者、ということが分かった。

また、売れる前のお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」(田村淳・田村亮)
を「すごく相性が良い、絶対に出世する。」と占ったこともある。

銀座の母は、現在も銀座で占いを続け、年間1万人以上を鑑定している。
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